井川遥、小池栄子、小向美奈子がブレイク! 21世紀を迎え、グラドル・シーンが大きく動いた! 2001年のグラビアアイドルを振り返る! その1 

いまからちょうど20年前。誰も予想だにしなかった“変人・小泉”内閣が発足し、時代がとてつもない大きなうねりをもって変化を見せ始めたあの年。待ちに待った新時代・21世紀の初年にして、キューブリックの普遍の名作映画に時間が追いつくというメモリアルな年でもあったが、実は、我がグラドル界においてもまたしかり。新たな魅力やスペックを有したペルソナが続々ブレイクを果たし、未曽有の動きが次々生じた、極めて画期的な一年なのであった。

1.井川遥の前人未到の驚異的ブレイク

2001年のグラドル・シーンは彼女から始まったと言っても過言ではない。1月に池袋サンシャインで行われたDVD『imagine』発売記念イベント(写真集『good vibrations』発売記念も併せてだったか?)での盛況ぶり、とりわけ撮影タイムにおけるファンの熱狂具合は尋常じゃなかった。なにせ、後ろのほうでは撮影時のトラブルによりファン同士(いや、一方的だったか)の殴り合いも生じ、終始、高揚感と緊張感のカオスに会場は包まれていた。当時、彼女は23歳(その後、年齢詐称を公表。実際は24歳)であり、10代デビュー&ブレイクが当たり前の時流、シーンにあって、明らかに遅咲き。そんな中、新感覚の癒しを武器にあれよあれよという間の躍進の末の国民的ブレイク。文字どおりそれは前人未到の快挙であり、ある意味(個人的主観)、4月に誕生した小泉政権よりも画期的で歴史的な変革と呼べるものだった。

2.小池栄子、重い胸を上げる

イエローキャブキャブの新星として1999年から一線で活躍していた彼女。だが、あくまで女優志望であって、グラドル仕事が本意ではないことは知る人ぞ知る話だった。とにかく表情が硬く、笑顔がない。サトエリや川村亜紀がグラドルのタイトルを受賞する中、彼女は無冠のまま。テレビ仕事も関西のもので後がない……。そう思われた矢先、2001年2月に出演した『めちゃイケ!』の人気企画『めちゃイケプロレス』。妹分の小野愛を伴い、光浦靖子&堀越のりとのバトルで見せた巨乳ボディは圧巻といえた。感動を覚えた自分はすぐに自らのグラドル企画『グラドル番付』第2回分に、東方・新横綱の井川遥に対抗の西方・新横綱として彼女を位置づけることに。のちに自分は聞かされることになるが、その番付表はイエキャブのマネージャー陣に好評だったようで、雑誌や作品、番組など各媒体への売り込みに適宜活用された由。彼女的にも乾坤一擲、グラドル仕事に気概を持って打ち込むようになり、同年春以降の怒涛の活躍ぶりは“新生・小池栄子”と称し評するのにふさわしいものといえた。サトエリ、MEGUMIとの最胸トリオ“さとこいめぐさん”も好評を博し、21世紀のイエキャブ新時代、ひいてはさらに隆盛を極めることになるグラドル・シーンにおいて、堂々トップのペルソナとして君臨することになったのだった。

3.15歳巨乳の小向美奈子の新しさ

当時としては異例の遅咲きの24歳でブレイクを果たした井川遥に対し、15歳という若さでブレイクを果たしたのが小向美奈子。10代・高校生で巨乳は特に珍しくなかったが、10代・中学生で巨乳(90センチFカップ)というビジュアルと語感のインパクトは絶大だった(正確に言えば、15歳でのブレイクは前年の2000年終盤、第1期プチエンジェルに選出された際)。2001年のこの年は宮地真緒、椎名法子、浅見れいならとともにフジテレビのビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤーに選出され、その人気を不動のものに。ブレイク当時からすでに不穏な噂は絶えなかったが、独特のマイペースな言動は新人類的な魅力として解せられ、受け入れられて、絶大な支持をキープ(前述の『グラドル番付』企画では2002年に横綱に昇格。2001年は王道アイドル誌『BOMB』9月号で表紙巻頭を務める)。その後の波乱万丈な騒動の数々はここでは置いておくとして、2001年のあの時点、10代半ばの彼女の巨乳グラドルとしての輝きは他の追随を許さない圧倒的なものがあった。

(文・織田祐二)